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ビジネス書「極上三言」
ぼちぼちと。。。
天才の証明―谷岡ヤスジ傑作選天才の証明―谷岡ヤスジ傑作選
(1999/12)
谷岡 ヤスジ

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★じっとしておったらえらそうな無になってしまう。いつも見苦しくもがいとらんといかん。乱作と言われようとバカスカ描けば限界がわかる。限界がわかれば自分がなにをしとるかわかる。負けがこわくて出し惜しみしていざ勝負ゆうたら実は持ち札がなんもなかったちゅうバカがこの業界にはようけおる。


 ブログを休んでいる期間、いつもならブログを書いていた時間に何をしていたか?
 
 答え。読書。

 まあ読書以外にもなんやかやと将来に向けての仕込みをやっていたのだけど、基本的には読書、しかも「ビジネス書じゃない本」をガシガシとこなしていく毎日だった。再読も含めてね。

 上記に掲げた本は、赤塚先生が亡くなったのを契機に再読してみたもので(同じ天才マンガ家同士だからという理由)、次々と繰り出される超ド級のギャグに吹き出しながらも、こんなセリフを見つけてドキッとしたわけで。と同時に、ああ、そうだよなあという感慨が心の底から湧いてくるのも感じる。

 別に充電をしたわけじゃない。ビジネス書を読み貯めたわけでもないし、ましてもっともっと(自分が面白いと思う)文章を量産する自信がついたわけでもない。でも、「ここで何か達成したような気になってちゃいけないな。ここでやめたら中途半端だな」って、徐々に強く思うようになってきた。今振り返ればすっごく他人事のように、一体僕は何に到達したつもりでいたんだろうって首を傾げてしまう。

 自分で自分にリミッターをつけてしまってはいけない。僕の生み出すものがロクなシロモノでなければ、自然と人が離れていってしまうものだ。そのときに「限界」を思い知ればいい。

 うん、改めて思う。読書ってのは危険な趣味だ。考えるってのは危険な行為だ。ともすれば観念だけが肥大化して、口先だけの評論家になっちゃうかもしれない。あーだこーだ頭を捻っているうちに、優秀な実務家がおいしいところを全部かっさらっちゃうかもしれない。そんな危険性を充分に認識しつつ、そして充分に恐れつつ、今日からぼちぼち再開(みんな「お盆で休み」とか言ってる最中に再開するのはどうかな?とも思いつつ)。これからの「第2フェーズ」はあまり構えずに、ちょっと遊びながら書いてみようかな。

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もうちょっと休みます
面白いもんだ。

前回の記事、読み返すと
「ちょっと旅行に行ってきます。その間、休みますね」
みたいなニュアンスが感じられるな。
いや、実のところ「リフレッシュ休暇」みたいなイメージはなかったんだよね。僕には「お盆休み」ってのはなくて、8月はひたすら暦どおりに働くことになってるし(その代わり、9月に長期休暇が取れる)。
ただ、ちょっと距離を置こうって意図だったんだ。

あの記事を書き出したときは、
「限りなく断筆に近い休筆」
のつもりでして。とりあえず、ブログと距離を置こう。しかも、強制的に距離を置くために宣言しちゃおうって。

理由は前回に書いたとおり。
僕がブログをはじめたときの目論見は、「僕が読んで面白いと思える文章を書きたい」ってこと。
実際、最初に書こうと思っていたことと違う結論を書いてしまって、書き終えてから「そうか〜、僕ってこんなこと考えてたのか〜」なんて思わされるときは、読んでて面白かったな。

でも、ふと思う。このままどこまで「僕が読みたい文章」を書くことができるんだろうかって。
そろそろ、面白くもなんともない、お仕着せの言葉で「それらしい」こと書いてお茶を濁すようなことにならないかって。

ところがところが。

最後のパラグラフで、「旅行に行くんでリフレッシュ休暇です」みたいなニュアンスを出してしまっとるな。なんじゃ、こりゃ。
僕の中にいろんな考えがあって、それがうまくまとまってなくて、なんかまとまらないうちに文章として噴出してしまった感じ。
面白いな〜、こういう文章。

てなわけで(?)もうちょっと休みます。
「いろいろ準備する」とか言いながら、想定していたこと何もできてないし(汗)。
今度こそ、1週間後くらいには再開したいと思います。「引き際」は常に意識しながら、ね。

では、また!

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ちょっと休みます


 以前「番外編」で「大長編ドラえもん」を絶賛したんだけど、この作品群、10作目を越えたあたりから急激につまらなくなってくるんだよね。いや、「つまらない」ってのは言いすぎか。でも少なくとも、初期の「異様な面白さ」はすっかり影を潜めてしまう。

 作者の藤子先生はいわゆる「本編」であれだけの作品を生み続けると同時に、「大長編」まで10数作も手がけるんだから、そりゃ質が落ちてくるのも当然という気がするな。それが「終わりなき連載(1話完結の物語)」であるならば、誕生し、成長し、完成し、爛熟し、衰退し、滅亡する。そんな道をたどらざるを得ない。

 それは理解している、つもりだ。だからこそ、自分の好きな作品が衰退していくのを見るのは非常につらいものがある。終わってほしくない、だけど、早く終わってほしい。そんなアンビバレンスな思いを、つい抱いてしまう。

 僕のブログで紹介した本が100冊に到達した。

 読むのは比較的容易だったのだけど、書くことが大変だったな。会社から帰宅して、ようやく「仕事モード」を断ち切る。夕食の準備をしながら、今朝読んだ本の内容を思い起こす。そこで僕は何を感じたか、なぜそう感じたか。心の声を丁寧に、何度も何度も聴き取る。

 その内容を夕食後に一気に書き上げるんだけど、なかなか思うようにいかなくてね。自己の非才を呪うこともしばしば。振り返れば顔から火が出そうな文章も多々あるものの、よくやったのう、とちょっとした賛辞もあげたくなってくる。恥ずかしながら。

 同時に、こうも思う。

 僕のブログって、基本的に「1話完結」の「終わりなき連載」だ。藤子先生の小指の爪の先ほどの才能もない僕は、どこまでの量に耐えられるだろうかって。鼻で笑われるかもしれない。「100冊」なんてまだまだ甘いのかもしれない。それでもやはり僕は思うんだ。「引き際ってやつを意識すべきフェーズなんだろうな」って。

 な〜んてしかつめらしい顔しながら考えるわけだけど、まあそんな難しいことはとりあえず横に置いといて、明日からしばらくお休みします。なんやかやと準備しなきゃいけないことがあってね(そして旅行にも行っちゃいます!)。1週間後くらいまでには復帰できる…かな。記事は更新しなくても、みなさんのブログまわり&コメント書き込みについては、能う限りやっていくつもりでいますので。

 では、また!

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転移点を見つめ続けて
脳が教える! 1つの習慣脳が教える! 1つの習慣
(2008/07/05)
ロバート・マウラー

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●小さな改良をつづけ、それが「習慣」として身につけば、すべては変わると。
●脳は、新たな挑戦、チャンス、欲望によって、ある程度の恐怖心が起こるようにできている。
●新しい習慣を身につけるという「変化」を計画する際には、その計画がベストなものであっても、抵抗という壁にぶちあたることもあると覚えておこう。



 毎日小さな変化はしているのだけれど、あまりに小さすぎて日常の中では見過ごされてしまう変化というものがある。ふと振り返ってみたときにはじめて、実は思いがけず巨大な変化であったことに気づくときがある。卑近な例で言うと、子供の身長とかね。半年振りに親戚の子供に会うとそのとてつもない変化に仰天するのだけど、本人やその家族はきょとんとしているなんてこと、経験ある人は多いのでは?

 本書が提唱することは一つ、習慣を身に付けましょうってこと。ただしその習慣は、端的に言えば「挫折しようのないほど簡単な課題」であること。「1日30分」でもまだハードルが高い。1分でいい。それを毎日続けていれば、脳が「毎日続ける」という生活になじんでくる。なじんできたらしめたもの、そうなれば、自然とより高い目標を設定することができる。そんな習慣をこなしているうちに、当初は遠すぎてとても実現不可能に思われていた目標は、いつの間にかすぐ手の届くところにぶら下がってたりする。何の特技もなかった自分が、いつしかスペシャリストに変貌してたりする。あたかも親戚の子供のように、ね。

 本書はそうやって毎日小さなことを積み重ねていく大切さを言い、僕も心から同意するのだけど、そのことが極めて重要なのは「1を100回積み重ねたら100になるから」って理由からではないと思う。量をこなすことには、もっと深い意味がある。

 物理の世界の「相転移」という概念は知ってるかな。物質がある基準を超えたら、「別物(のようなもの)」に変化するってやつで、たとえば水が0度以下になったら氷になっちゃうとか。この「相転移」みたいなことが、自身の向上についてもしばしば起こる。とにかく量で勝負だ!とガンガンこなしていくと、それが一定量を越えた瞬間、一気に能力が開花するんだ。積み重ねてきた「経験」が「相転移」を起こすイメージ。そんなことは結構ありうることなんじゃないかな。

 だから1を100回積み重ねたら、たぶんまったく違った数字になるはず。能力ってのは、基本的にそういうステップで伸びていくものだと僕は考えている。

 そしてそして、本書が僕のブログで取り上げる100冊目!はてさて。。。 
 
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適正なだらしなさ
だらしない人ほどうまくいくだらしない人ほどうまくいく
(2007/09)
エリック・エイブラハムソンデイヴィッド H.フリードマン

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●大袈裟に聞こえかもしれないが、〈きっちり〉するにはコストがかかるという明白な事実を、世界はこれまで無視しつづけていた。
●リストに記されたことだけを実行するとしたら、リストに漏れたことは決して実行されないことになる。
●働きやすい職場環境は人によって異なる。〈だらしな系〉の人間に〈きっちり系〉の秩序を押しつけると、生産性を損なうことがある。



 僕は小学生のころから整理整頓が苦手で、先生に怒られる理由は常に机周りの汚さだった。あるとき母と先生との二者面談で、「この整頓下手はひどい。このままじゃろくな大人に成長しません」なんてきっぱり断言されたりして。こういうだらしない性格は徐々に修正されながらも、社会人になってもやはり本質は変わらないまま。僕の机の書類は散乱し、うずたかく積まれる事態に。

 う〜ん、これじゃいかんと一念発起して整理整頓を常に心がけるようになった今、あらためて思うことがある。それは「身の回りが片付いていると、効率は向上するもんなんだなあ」ってこと。そう思いながらも机周り以外は相変わらずいいかげんな管理。「きっちり」とは程遠いところに現在の僕はいる。

 本書の主張はすがすがしいほど明快だ。乱雑さには異質なものを吸収する柔軟性やたくましさがある。状況の変化となじみ、そこから有益な影響をうけることができる。なにより、乱雑さこそが創造力を生み出すのだ、などなど。よくぞ言ってくださいました!だらしない人間代表として、このような本を出してくれたことに心からお礼申し上げる次第で。

 「だらしなさ」を賞賛したその一方で、行き過ぎた整理整頓思想も批判する。それは臨機応変さを欠く硬直した考えだ。コストがかかるだけの自己目的的な考えだ、エトセトラエトセトラ。。。いやー、よくぞ言ってくださいました!だらしない人間代表として、このような本を出してくれたことに心からお礼申し上げる次第で。

 と、このような事を書いちゃうと眉をひそめる人が出てくるかもしれない。常識で考えたら、秩序立てることは大切なことに決まってるじゃないか、て。うん、僕もそう思う。実際僕も机の整理整頓をするだけで能率アップを実感してるし、きちっとした計画ってのもほんと有効だよね。だから僕も著者も、整理整頓を否定しているわけじゃない。ただ「ほどほどが大事だよ。やりすぎはいけませんよ」ってことを言いたいだけなんだ。

 強迫観念のように「整理」ってことにとらわれず、適正な「だらしなさ」を加えてやること。「だらしなさ」の効用を認めてやること。複雑さがますます増す現在、そういう「中庸」の感覚がすっごく大切になってくると僕は思う。

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