カスタム検索
ビジネス書「極上三言」
Ads by Google
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
近況などその2
おはようございます。

近況その2、です。
身辺の変化が激しいんだよね、最近。
えーと、4月から東京へ転勤することとなりました。

僕の職場は出張が多いところで、だから東京へは何度も何度も行っているのだけど、そのたびに思うのは「ここは住むところじゃないな」ということ。
ほんの少し滞在するには面白いかもしれないものの、あまりに巨大な怪物のようなイメージがあるんだよね。
「ここに長く滞在するのはまずい」と直観的に感じてました。

というのも、僕がひたすら「田舎」で生活していたからということがあるんだろうと思う。
住居はけっこう転々としながらも、基本的にはのどかなところってのが共通してたんで。
山が見えない生活、土を踏まない生活、それらは僕の貧弱な想像力の枠外にあります。

と、こんな具合に最初は拒絶反応を示してました。やだなーやだなー、と。
ところがなかなか面白いもんで、家を決め生活プランを立てているうちに、まあ東京に住むという経験は一度くらいしておくべきだろうなんて思うようになってきまして。
日本で最も熱い場所に身を置かずしてビジネスを語るなかれ、なんて偉そうなことを考えるようになったりしてね。

ということで今回またちょっと更新に間が空きましたが、今後もこういった諸事情で更新は不定期になります。
いや、実はブログの閉鎖も想定してまして。とても残念なことだけれど。

いずれにせよ、ず〜っと未更新で放ったらかしということはないようにしようと思うこの刹那。では、また。

応援クリック、なにとぞよろしくお願いします!!
近況など
前回の記事で「1月末には再登場」なんて書いているくせに、こんな時期までひたすら沈黙し続けてしまった。。。異様なスピードで通り過ぎていく日常の中、ブログのことは頭の片隅から離れなかったものの、なかなか「更新」というところまで踏み切れずにここまで来ちゃいました。毎日のように更新し続けていた時期を、「よくあんなペースで書けたなあ」と遠い目で眺めつつ懐かしむ日々。そんな間も折に触れて訪問してくださったみなさまには、心の底から感謝感謝!です。とりあえずは、近況でも。

いちばん大きな変化は、妻が妊娠したこと。今年の初夏には女の子が生まれるらしい。と言うと例外なく周囲から祝福される中で、実は僕自身、一抹の違和感を覚えていたりするんだよね。「自分と似たようなもの」がこの世に存在することのおぞましさ、といおうか何といおうか。いや、決して喜んでいないわけではなくて、あくまで「一抹」なのだけれどね。もうすっかり古びてしまった表現ながら、基本的にはこれから生まれてくる子供を「宝」だとは思っているのだ。

あともうすぐ父親になるということで思いを馳せるのは、環境問題や南北問題といった、いわば「全人類的な問題」について(我ながら突飛だなあ)。というのは、そういったでかい問題に対して、「自分は今の快適な生活を維持したいのだ。そんな問題など知ったことか」という態度も、それはそれでアリなのだろうなと僕は考えているからだ。「自分のことばかり考えて何が悪い?いや、家族や友人や恋人には最大限の気配りをするよ。でも見ず知らずの誰かのことなんて知らない。ましてや、何年も先の人類のことなど・・・」。残念なことに、こういう言説への説得的な反論をいまだ聞いたことがない。

だけど「親になる」ことは、そういった態度が許されなくなることだ、と僕は思う。なぜなら、自ら望んで子供を作る行為は「私は未来に対する責任をひきうけます」という意思表示と同義だからだ。意思表示した者は、次の世代に「より良きもの」を残そうと努力しなきゃいけない。少しでもこの世界を「ましなもの」にしようと頑張らなきゃいけない。親になるってことは、このような態度をとることが「義務」としてのしかかってくることだと僕はみなしている。

いや〜、「子供ができた、わーい嬉しいな」で済ましゃいいのに、なんか鹿爪らしい顔して考えちゃうんだよねえ。こんな僕に何かしらの面白さを感じるのならば、今しばらく本ブログでお付き合いを。


応援クリック、なにとぞよろしくお願いします!!
長い冬休みとさせてください
こんばんは!

しばらくご無沙汰しておりました。
更新が止まったのは、パソコンの調子がおかしくなってしまったってのが理由。
いや〜、びっくりびっくり。なにしろ、画像が真っ暗でな〜んにもうつらないんだからね。
なんかうつって思うように操作できないってのならまだ対処の使用もあるのだろうけど、こりゃもう、お手上げ。

てなわけで「更新できません」との連絡をする術もなく、今まで放置しておりました。
心配してメール等くださった方々、心から感謝申し上げます。

でだ。

ブログの更新を強制的にストップさせられて、僕が思ったことは何か。
それは「ああ、これでビジネス書を読まなくてすむな」ってこと。
う〜ん。。。これは。。。

ちなみにこの一週間で僕が読んでた本は以下の通り

・『暴走する脳科学』河野哲也
・『オオカミ少女はいなかった』鈴木光太郎
・『バイトくん』いしいひさいち
・『ジェシカが駆け抜けた七年間について』歌野晶午
・『アフターマン』ドゥーガル・ディクソン
・『自死という生き方』須原一秀
・『哲学塾』村田純一
・『地球と一緒に頭も冷やせ!』ビョルン・ロンボルグ

うはは。見事にビジネス色がないでしょ。

てな具合に、ちょいとビジネス書に倦んでいる自分を感じます。
特に大きな理由も無く、ただ、なんとなく。

消極的の謗りを受けるかもしれないけど、こういうときって休んだ方がいいんだろうなあ、と僕は思う。
今書いても、たぶん面白いものは書けない。少なくとも、僕の身体は喜ばない。

な〜んて鹿爪らしい顔で考えた結果、少し早いものの年末年始の休み(ブログは、ね)をとらせていただきます。
1月の上旬か中旬あたりに、また、お会いしましょう。
と言いつつみなさまのブログには、ちょくちょく登場するかも、ですが。

ではでは、みなさまよい年を!あ、その前によいクリスマスを!
【番外編】古文へのいざない【後編】
雨月物語・春雨物語―若い人への古典案内 (1980年) (現代教養文庫〈1025〉)雨月物語・春雨物語―若い人への古典案内 (1980年) (現代教養文庫〈1025〉)
(1980/10)
上田 秋成

商品詳細を見る



●枕はここにと定む。負ひし物おろして、心おちゐたれば、おそろしさは勝りぬ。高き木むらの茂く生ひたるひまより、きらきらしく星の光こそ見ゆれ、月は宵の間にて、露冷ややかなり。されど、「明日の天気頼もし」と独言して、物うち敷き、眠りにつかんとす。(『春雨物語』)
(寝る場所はここと決めた。背負っていた荷物を降ろして、気持ちが落ち着いたところ、おそろしさが勝ってきた。高い木立の茂った間から、きらきらと星の光が見えるけれども、月は宵の間に出て、露が冷ややかである。しかし彼は「明日はいい天気だ」と独り言を言って、物を敷き、眠りにつこうとする)
→上田秋成の『春雨物語』。秋成といえば「雨月物語」が有名だけど、僕はこっちのほうが好きだな。ここは和歌を志す若者が京都に向かうときの場面。古文には珍しく、すがすがしい爽やかさがあるよね。


●彼の男があらましの家は、走り求め、作りみがく煩ひもなし。雨風にも破れず、火災の恐れもなし。なす所はわづかに一紙なれど、心をやどすに不足なし。(『発心集』)
(あの男の空想上の家は、素晴らしい材料を走り求め、立派に作る苦労もない。雨風にも壊れず、火災の恐れもない。やっていることはわずか一枚の紙の上のことであるが、心を宿らせるのには不足はない)
→家作りの空想をしている男を評した箇所。世間一般じゃそういった行為は嘲笑の対象になりがちなのだけど、よくよく考えてみれば結構いい部分だってあるんじゃないか、実現するはずのないことを空想するのって楽しいことだよね、と著者の鴨長明は言ってる。その通り!僕なんか一日の10分の1くらいは妄想である。


●なほ、とばかりながめ入りて
 里分かぬ雲居の月の影のみや見し世の秋に変はらざるらむ
と、忍びやかにひとりごちて、涙ぐみたるさま、いみじうあはれなるに、まめ人も、さのみはえしづめ給はずやありけむ
 古里の月は涙にかきくれてその世ながらの影は見ざりき(『山路の露』)

((浮舟は)そのまましばらく物思いにふける様子で、
 どの里も区別せずに照らす月の光だけが、昔見たあのころの秋と変わらないようだ
とそっとつぶやいて涙ぐむ様子は、ほんとうにしみじみと胸を打って、誠実な人である薫の君もそうとばかりは言っておられず心を抑えなさることがお出来にならなかったのだろうか
 昔あなたと眺めた里の月は、今では私の涙で曇ってしまい、昔のままの月の光は見られなくなってしまいました)

→訳あって薫の君(男)のもとから姿を消す浮舟(女)。浮舟を探し求める薫の君。そしてついに!薫の君は浮舟を見つける。薫の君が見ているとも知らず、浮舟は自身の境遇を歌に詠む。それを聞いた薫の君は、思わず胸の内を吐露する歌を詠んでしまうのであった。。。ここから二人の愛がどのような結末を迎えるのか、それは実際に本をお読みください。いや〜、日本の古い恋愛物語ってのは実に沁みるよねえ。


ということで「番外編」終了。
マニアックに走りすぎた感もあるけど、ま、時折マニアックな記事もあっていいかな、と。
またこんなのやりますね〜。

応援クリック、なにとぞよろしくお願いします!!
【番外編】古文へのいざない【前編】
平家物語〈1〉 (岩波文庫)平家物語〈1〉 (岩波文庫)
(1999/07)
梶原 正昭山下 宏明

商品詳細を見る



以前から折に触れて僕が古典好きだってことを公言しているものの、その都度取り上げる文献って決まって「漢文」なんだよね。ちょっと思い出してもらったらわかるように、世のいわゆる「ビジネス書」に取り上げられる古典ってのも同じく「漢文」だ。大半が『孫子』、あとのほとんどが『論語』ってのが定番かな。僕は寡聞にして知らないけれど、『六韜』とか『戦国策』とか『十八史略』とかも結構ありそうだよね。

ともあれ、何でみ〜んな漢文なんだろう。ざっくり言うと、漢文は「評論」的で、古文は「小説」的だからってのがその理由なんだろうと思う。もちろん日本にもすぐれた評論がいくつかあるものの、やっぱ「小説」というジャンルにおいて日本の古文が頭抜けている。漢文と比べても、その質において圧倒的に優れている印象を僕は持ってるんだよね。たぶん僕の印象は、世の大多数の印象と一致しているんじゃないかな。

と、文学的価値がありすぎるがゆえに、ビジネス書においては顧みられることの少ない古文。今回は【番外編】でそんな古文のフレーズをいくつか引っ張ってきました。



●桃李の御よそほひ猶こまやかに、芙蓉の御かたちいまだ衰へさせ給はねども、翡翠の御かんざしつけても、何にかはせさせ給ふべきなれば、遂に御姿をかへさせ給ふ。憂き世を厭ひ、まことの道に入らせ給へども、御歎きはさらに尽きせず。(『平家物語』)
(桃やすもものようなご容姿が依然として美しく、蓮の花のようなご容貌はまだ衰えていらっしゃらないけれど、翡翠のかんざしをつけても、何ともなさりようがないので、とうとう尼になられた。この世をいとい、仏の道にお入りになったが、お嘆きはいっこうに尽きない)

→壇ノ浦の合戦で海に身を投じた建礼門院徳子だが、源氏に助けられ都で過ごしている。その境遇を描写した部分。「芙蓉」「翡翠」のきらびやかさが、かえって徳子の悲劇的な現在を際立たせてるよね。ぜひ声に出して読んでみましょう。何とも心地よいリズムの文章なんで。


●月もとく入りて、御前の燈籠の灯も昼のやうなるに、中将の君、かたちはいとど光るやうにて、柱に寄りゐて、もて悩みながら吹き出で給へる笛の音、雲の上まで澄みのぼるを、上を始めたてまつりて、候ふ人、すべて九重のうちの人、聞き驚き、涙を落とさぬはなし。(『狭衣物語』)
(月もすぐに沈んで、内裏の燈籠の灯も昼のように明るいので、中将の君は、お姿がいっそう光り輝くようで、柱に寄りかかって座っていて、困った様子ながらも吹き始めなさる笛の音が、雲の上まで澄んだ音色で昇ってゆくのを、帝をはじめそこに居合わせた殿上人や、すべての宮中の人は、笛の音を聞いて驚いて、感涙を流さない者はいない)

→中将が笛を吹くシーン。「笛の音」が「雲の上まで澄みのぼる」ってのがいいなあ。そんなすごい演奏じゃ、そりゃ聴衆はおいおい泣くのもよくわかる。

後半に続く!

応援クリック、なにとぞよろしくお願いします!!
Copyright © ビジネス書「極上三言」. all rights reserved.
FC2ブログ